落合博満

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1: 風吹けば名無し 2019/08/31(土) 19:25:10.51 ID:Ts7BExZ9a
1972年、東洋大学に進学[3]。しかし、ここでも先輩がタバコを手にしたら後輩がそれに素早く火をつける、などといった体育会系の慣習に納得できず、故障もしたことで、わずか半年で野球部を退部して大学も中退。秋田に帰った。
その後、ボウリング場でのアルバイトをきっかけにボウリングに目覚め、プロボウラーを志すようになるが、これも挫折した。

1974年、母校を訪ねた際に才能を惜しんだ高校時代の恩師の勧めもあって東京芝浦電気の府中工場に臨時工として入社[3]。
同工場の社会人野球チーム・東芝府中に加わった。ここでの在籍5年間の公式戦で約70本塁打を放つなど頭角を現す。1976年には中心打者として、東芝府中を創部23年目で初の都市対抗出場に導く。1回戦でデュプロを降し初勝利をあげるが、愛媛相互銀行に完封を喫し敗退[4]。
翌年以降も、都市対抗に日本通運、電電東京の補強選手として3年連続出場。1978年には、木田勇、森繁和らとともに第25回アマチュア野球世界選手権日本代表に選出された[3]。
この頃の落合は、日中はトランジスタラジオの基板を組み立て、夕方から野球の練習をする、という生活を送っていた[5]。



1982年、史上最年少(28歳で開幕を迎えたシーズン)で三冠王に輝く。12月16日、年俸5400万円+タイトル料600万円で契約更改した[9]。

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1: 名無しさん@おーぷん 19/07/03(水)12:48:24 ID:v4J

4: 名無しさん@おーぷん 19/07/03(水)12:52:49 ID:2xx
や落N1

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